東大寺発願記念能

10月15日(日)午後1時30分始
場所 奈良市 東大寺大仏殿前鏡池特設舞台

演目
金春流能「八島(やしま)」 金春欣三
大藏流狂言「茫々頭(ぼうぼうがしら)」茂山正邦
金春流能「猩々(しょうじょう)」 櫻間金記

以下文章、写真は、奈良新聞社提供です。

当日は天候に恵まれ、秋の高い青空が広がるもと、木々の緑が映える大仏殿前鏡池特設舞台で、重要無形文化財指定保持者の金春欣三師や櫻間金記師らが舞う金春流能「八島」や「猩々」などの素晴らしい舞台を、たくさんの参拝者や能楽ファンの皆様にご覧いただくことができました。

金春流能「八島(やしま)」 金春欣三
 旅僧が西国行脚の途中屋島の浦に着き、日が暮れたので、浜辺の塩屋で一夜を明かそうと思うところへ、漁夫が釣りを終えて帰って来る。僧が宿を頼むといったんは断るが、都の者と聞いて懐かしがり、中へ請じ入れる。僧の求めに応じて、屋島での源平合戦の有様を語り始める。義経の大将ぶり、景清と三保谷の錏引、佐藤継信と菊王丸の最期などを語るが、その内容の詳しさに僧は不審を抱き、名を尋ねると夜明の修羅の時に名乗ろうと告げ、義経の幽霊であることをほのめかし、姿を消す。そこへ、浦人が現れ塩屋いる僧を咎めるが、僧は塩屋の主であることを知り、源平合戦の話をしてくれるよう頼むと、主は詳しく話して聞かせる。僧から先刻の漁夫の話を聞いた主は、その老漁夫は義経の霊であろうと察し、義経の供養を勧める。その夜の僧の夢の中に、甲冑姿の義経の霊が現れ、この地に執心が残っていると訴え、弓流しの様子を再現し、修羅道の苦しみの時が来て、激しい戦いぶりを見せたかと思うと、春の夜は明け僧の夢は覚め、あたりは松風の音だけが聞こえるのみであった。

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大藏流狂言「茫々頭(ぼうぼうがしら)」茂山正邦
暇も請わずに無断で旅に出た太郎冠者を、主人は叱りに行く。しかし京内参り(京見物)に行ったというのを聞いて許し、京の様子をたずねる。京をここかしこ見物して、祇園へ行く途中、菊の花が咲いていたので一枝手折り髻に挿して行ったところ、年のころ二十ばかりと思われる美しい上臈に「都には所はなきか菊の花茫々頭に咲きぞ乱るる」と詠みかけられたので、「都には所はあれど菊の花思う頭に咲きぞ乱るる」とおうむがえしに返歌すると褒められて、祇園の松原に連れて来られ、一の上座に据えられたと語る。主人に聞かれて緒太の金剛(丈夫な草履)が回りにあったと答えると、「それは沓脱と言うて一の下座」と教えられる。目の前を御馳走は素通り、なんの接待もないので腹を立て、席を立ち出て行くと、下女が追って来て「返せ」と責める。仕方なく、腹たち紛れに懐に捩込んだ緒太の金剛を返したと語る。叱り止め。シテの独演の仕方話、時々主人が口をはさむ。なかなか演技の難しい狂言。

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金春流能「猩々(しょうじょう)」 櫻間金記
猩々を辞典で調べてみると「口円くして突出で、身長四尺ばかり、赤褐色にして性質緩慢なり。想像上の獣、人語を解し、紙長くして赤く、声小児の啼くがごとく。好みて酒を飲むという」とある。本曲では海中に住む獣となっているが、それは見当たらない。中国かね金山の麓に親孝行な高風が住んでいた。ある夜不思議な夢を見、揚子の市に出て酒を売るうちに次第に富貴となって行くのだが、この市の立つ毎に来て酒を飲むものがいて、いくら飲んでも顔色が変わらず、不思議に思った高風が名前を尋ねると、海中に住む猩々だと名乗る。ある秋の月夜に、高風は潯陽の江のほとりで、壺に酒を用意して待っていると、やがて猩々が海中より浮かび出て、高風と酒を酌み交わし、舞を舞い、高風の心の素直さを褒め、汲めども尽きぬ泉の酒を壺に入れて高風に授ける、というところで高風の夢は覚める。しかし、夢中の泉の酒壺は、現実に存在し残っていた。そして高風の家は長く栄える。猩々の説話は古くからある。もとは前後二場の複式能であったのを、前半を省略し半能形式の祝言能となったもの。

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by easysailing | 2007-10-15 20:00 | 演能日誌


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