平成18年5月11日、12日
近年、各地で野外能や薪能が行われていますが、古来、薪能といえば、興福寺南大門前の芝生で演じられてきたものを指し、各地の薪能は戦後これに倣ったものです。
869年、興福寺修二会で薪猿楽が舞われたと伝えられており、能楽が大成される室町時代には、最も盛況を極めたといわれています。
11日は春日大社舞殿で「咒師(しゅし)走りの儀」、12日は春日大社若宮社で「御社上り(みやしろあがり)の儀」がそれぞれ午前11時から奉納された後、午後5時半から興福寺南大門跡 般若の芝で「南大門の儀」が執り行われました。
5月11日午前11時始
咒師走り(しゅしはしり)の儀 金春欣三
ここで奉納される「翁」は、浄衣姿の三人の翁と、素襖姿の三番三と千歳とで勤める古い
かたちを留め、また「十二月往来」は、現行観世流のものより一段と古雅な詞章を伝え、
宝数えのめでたい章句がつくのが特徴です。
場所 奈良市 春日大社舞殿
金春流能 「翁」 金春欣三
「千歳」 「延命冠者」 茂山正邦
「三番三」 大藏千太郎
南大門の儀 午後5時半始
場所 奈良県文化会館
例年興福寺南大門跡で古式に則り行われていますが、前日来降り続いた雨のため本年は
奈良県文化会館で執り行われました。薪御能の中で行われる「外僉議(げのせんぎ)」に「和
紙三枚を踏んで湿り気があれば公演を中止する」という古儀がありますが、正にその通りに
なってしまいました。
舞台あらため・外僉議(げのせんぎ)
当初 薪御能は、舞台が野外の芝生であったため、紙を敷き踏んで芝の状態をみたとさ
れています。現在ではその必要はありませんが、芝の湿り具合いで能の有無を定めてい
た事を今に伝えるため演能の前に興福寺衆徒(僧兵)により「舞台あらため」が行われ、
人々にその結果を伝える外僉議文が読み上げられます。これらの儀式は他では見ること
のできない薪御能だけの特色です。
宝生流能 「杜若(かきつばた)」 辰巳満次郎
火入れ
興福寺衆徒による火入れがおこなわれました。
大蔵流狂言 「土筆(つくづくし)」 茂山千五郎
金剛流能 「小鍛冶(こかじ)」 金剛永謹
写真提供(一部除く)
写真家 植田 氏
5月12日午前11時始
御社上り(みやしろあがり)の儀
場所 奈良市春日大社 若宮社
「社頭法楽」の最も古いかたちとも言える御社上りの儀は、神殿を背にして、「四方正面」
の型で行なわれ、また橋掛かりは通常の反対で右側となり、非常に珍しい舞台となります
金春流能 「 巴 (ともえ)」 金春穂高
南大門の儀 午後5時半始
場所 奈良県文化会館
残念なことに2日目も、興福寺南大門跡の芝生の状況が悪く、奈良県文化会館に場所を
移し演じられました。
舞台あらため・外僉議(げのせんぎ)
金春流能 「 班 女(はんじょ)」 金春安明
火入れ
大蔵流狂言 「仏 師(ぶっし)」 茂山忠三郎
観世流能 「 安達ヶ原(あだちがはら)」 観世喜之
写真提供(一部除く)
写真家 植田 氏