薪御能 二日目

薪御能 二日目
 御社上り(みやしろあがり)の儀
  日時 5月21日(土)午後2時半始
  場所 奈良市春日野町春日大社若宮社
           「社頭法楽」の最も古いかたちとも言える御社上りの儀は、神殿を背にして、「四方正面」の型で行な
            われ、また橋掛かり通常の反対で右側となり、非常に珍しい舞台となります。

長権守 一拝
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  演目 金春流能「箙(えびら)」金春穂高
       西国の僧が上洛の途上、摂津の生田川に着き、梅に見とれていると、里の男が来たので、目の前の梅は名木かと問うと、
       男はむかし源平合戦の折、梶原源太景季(かげすえ)がこの梅を箙にかざし、笠標として戦ったので、箙の梅と名付け
       ていると教え、須磨の浦での源平の激しい合戦の模様をくわしく語り、自分は景季の幽霊だと名のって失せる。
       その夜、僧が梅の木陰に臥していると、若武者姿の景季が現れ、剣が雨と降りかかる修羅道での苦患のさまを語るが、
       生田川にいることに気づき、箙に梅をかざして目覚ましく戦った往時の源平合戦での奮戦ぶりを見せ、僧に回向を頼み、
       夜明けとともに姿を消す。

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「下行」  春日大社より演者に褒美として神酒が与えられる儀式
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 南大門の儀 午後5時半始
  場所 奈良市登大路町48興福寺南大門跡般若の芝
  演目 舞台あらため・外僉義(げのせんぎ)」
         当初 薪御能では、舞台が野外の芝生であったため、「和紙三枚を踏んで湿り気があれば公演
         を中止する」という取り決めがありました。現在では敷き舞台の上で行うためその必要はありま
         せんが、芝の湿り具合いで能の有無を定めていた事を今に伝えるため演能の前に興福寺衆徒
         (僧兵)により「舞台あらため」が行われ、人々にその結果を伝える外僉議文が読み上げられま
         す。これらの儀式は他では見ることのできない薪御能だけの特色です。
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     金春流仕舞「野守(のもり)」金春穂高
      春日大社第60次造替を記念し奉納されました。
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     金春流能「杜若(かきつばた)」金春流宗家金春安明
       東国に下るひとりの旅僧が、今を盛りと咲いている杜若の花に見とれていると、里女があらわれ、ここが古歌にも詠ま
       れた名所八橋であり、昔在原業平がここで休み「かきつばた」の歌を詠んだことなどの故事を語り、自分の庵に僧を案
       内する。やがて女は業平の形見の冠と、二条の后の唐衣を身につけてふたたび僧の前に現れる。驚いて素性を尋ねる僧に、
       杜若の精と名乗り、二条の后が杜若になったことを暗示し、また業平は歌舞の菩薩の化身であるので、その歌の功徳に
       より草木までも成仏出来ると語り、舞を舞い、夏の夜明とともに消えて行く。
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     火入れ 興福寺衆徒
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     大藏流狂言「蝸牛(かぎゅう)」茂山良房 山口耕道 新島健人
       羽黒山の山伏が、大峰、葛城の修行を終えて帰国の途中眠くなり、藪の中で眠っているところへ、祖父の長寿を願って
       かたつむりをあげたいと思う主人から、蝸牛を取ってくるように命じられた太郎冠者がやって来る。
       この太郎冠者は実物のかたつむりを知らない。主人に教えられたかたつむりの特徴に合うので、山伏をかたつむりと思
       い込んでしまう。なんとしても家まで来てもらわねば、と太郎冠者が山伏に教えられた囃子物を囃して浮かれているとこ
       ろへ、主人がやって来る。主人はかたつむりではなくて、山伏だ、売僧だと注意するのだが・・・・・・
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     金剛流能「藤戸(ふじと)」金剛流宗家金剛永謹
       藤戸の合戦で先陣の功のあった佐々木盛綱はその恩賞にその辺りの地を賜り国入りし、訴訟の事あれば申し出よと触れ
       させると老婆が現れ、罪もない我子が盛綱に殺されたと恨みを述べる。我が子を返せと嘆き激しく訴える母に、若い漁師
       から浅瀬を聞き出し、それが他に漏れるのを恐れその男を殺し海に沈めたことを語り自分の非を詫び回向することを約束し
       母を家に送らせる。
       弔いをする中に漁師の亡霊が現れ、刺し殺され千尋の水底に沈み引く潮に流された様を見せ、悪竜の水神となって恨みを
       なさんと思いしに、おもわざるおん弔いにと感謝して成仏の身となりにけると消えて行く。
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     附祝言

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by easysailing | 2016-05-23 09:46 | 演能日誌


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